寂寥のあと

幾美(いくみ)といいます。小説や日記を書いています。

2021-01-01から1年間の記事一覧

「きみちゃんの話は面白いよ、絶対売れるって」 そう言った大学院生の彼氏は、数日前に出て行ってしまった。他に好きな女ができたらしい。売れない小説家と、卒論を間近に控えた大学院生。お金も余裕もなかったけど、お互いがいればなんとかなるだろうと思い…

誰かさん

深夜二時たった今茹であがった、とりささみをほぐす シンクにはささみを茹でるために使った鍋がある水滴が、その鍋に向かってまっすぐに落ちる 彼は自由だいつからか、恋人の私のことなんてすっかり忘れてしまったみたい ささみを茹でる前に、あらかじめ筋を…

一つ星

「門」の続きです。未読の方はそちらからどうぞ。 あなたは知らないでしょう。いつからか、僕の中であなたの存在が大きくなっていることを。 最初は変な人だと思った。僕の家をじっと覗いているし、話しかけてもたどたどしいし。それからしばらくして、毎日…

幸運

「琴」の続きです。未読の方はそちらを先にどうぞ。 それから、私たちは下校時間になるまでたくさん話をした。好きな芸能人のこと、よく聴く音楽のこと、数学の授業を受け持つあの先生は知っているかとか。 話をしていて、アヤちゃんはとても聞き上手だとい…

双子

私には一つ歳が下の弟がいる。喧嘩するほど仲が良いというのか、子どもの頃からずっと隣にいた私たちは、何度も喧嘩をし、その度に仲直りをして、そしてまた喧嘩をして。ときどきお互いに手が出ることもあったけど、歳を重ねるにつれて殴り合いの喧嘩どころ…

チェス

「オレ、チェスはじめた!」 昼休みになり騒がしくなった教室が、親友の声で一層うるさくなる。 こいつはとにかくミーハーなんだ。バスケの漫画にハマるとバスケを始めて、自転車競技部の映画が流行るとロードバイクを買う。厄介なのは、特別興味もない俺を…

私の通う高校は文武両道をモットーに部活動にも力を入れる方針で、生徒全員が何かの部活動に入部しなければならなかった。進学科で入学した私のクラスメイトたちは勉強を優先するために、運動部よりも活動が少ない文化部に所属する人が多かった。 私は小さい…

落葉

秋が深まる時期に、落葉を集めて焼き芋を焼くことが昔からの夢だった。 私がまだ小さかった頃、共働きの両親の代わりに面倒を見てくれていたのが近所に住む父方の祖父母だった。いつも笑っていて穏やかな祖父と、働き者でしっかりしている祖母。祖母の買い物…

吐息

いくら着込んでも冬は寒さを感じさせる。それさえも愛おしいと思えたのは、隣に彼がいたからだろうか。 同僚である彼とのデートは、仕事が終わり夕食後の彼の車でのドライブから始まる。市街地から車を三十分ほど走らせ、トンネルを抜けた先にある海沿いの駐…

それはそれは、とても大きな一軒家だった。 父親の転勤でこの田舎町に引っ越して来て、荷解きの合間に家族全員分の昼食の買い出しに出た。近所のスーパーを探し、お弁当とお惣菜を適当に買い物カゴに入れて帰路につく。途中、道の向こうまで続く長い塀と、そ…

海とあの子

明るく透き通った海を見て、一目散に駆けて行った彼女。 「早くおいでよーっ」 最高気温が三十七度を記録した夏も終わり、穏やかな気候がやってきたと思えば、彼女が突然海を見たいと言い始めた。もうすぐ十月になるし寒いかもしれないと心配したが、 頑固な…