寂寥のあと

幾美(いくみ)といいます。小説や日記を書いています。

落葉

 秋が深まる時期に、落葉を集めて焼き芋を焼くことが昔からの夢だった。

 私がまだ小さかった頃、共働きの両親の代わりに面倒を見てくれていたのが近所に住む父方の祖父母だった。いつも笑っていて穏やかな祖父と、働き者でしっかりしている祖母。祖母の買い物へ着いて行ったり、祖父に手を引かれ家の周りを散歩したり、祖父母が愛情を注いでくれていたからか、一瞬たりとも寂しい気持ちを抱くことはなかった。

 私が小学生なり一人で留守番ができるようになってからも、時々祖父母の家に遊びに行くことがあった。学校が終わると一度ランドセルを置きに家に帰って、そしてすぐ自転車に跨る。もちろん友達と遊ぶこともあったが、週に一日くらいの頻度で自転車に乗って十分の距離を走った。
「ねえ、じいちゃん。あたし焼き芋たべたい!」
 夏の暑い日、季節外れの提案に祖父は驚いていたようだったが、じゃあ今度落葉を集めてやろうかと言ってくれた。てっきりスーパーで買うものだとばかり思っていた焼き芋が、落葉で焼いてできるなんて。想像するだけで楽しくて、その日家に帰ってから真っ先に両親に報告した。

 中学生になった頃、働き者だった祖母が病気で体調を崩した。詳しいことはよく分からなかったが、母は仕事を辞め、祖母の入院に付き添ったり退院してからの身の回りの世話をしたりするようになっていった。なんだか気軽に祖父母の家に行ってはいけないような気がして、家で過ごすことが多くなった。

 高校一年の時、祖母が長期入院をすることになった。入院の日に両親と祖父と私は祖母のいる病室へと向かう。前よりちょっとだけ顔色が悪くなった祖母を見て、泣きそうになるのをぐっとこらえた。今泣いたらダメだ、入院のための荷物を抱え必死に唇を噛んだ。

 大学生になり、私は進学のために家を出た。新しい環境と生活、めまぐるしい人間関係に頭が追い付かなくなった。そうして実家に帰ることも減り、祖父母の家に行くこともなくなった。
 大学二年の冬、祖母が危篤だと母から連絡があった。一人暮らしの家から四時間かけ、祖母の入院する病院へ向かった。乱れる息を整えながら病室に入ると、両親と祖父が立っていた。ベッドの横にある機械はまだ祖母が生きていることを示していたが、みんなの表情からもう長くはないのかもしれないと悟った。
 病院の先生から、何かあれば連絡すると告げられたため私たちは一度家に帰ることにした。父の運転する車中、私と祖父は後部座席に座っていた。車のスピーカーから、空気が読めないかのように笑っているパーソナリティがメールを読み上げる声が響く。
「今度、焼き芋しような」
 隣からの声にはっとして顔を向けると、祖父はこちらを見て少しだけ笑っていた。

 次の日の明け方、祖母は亡くなった。
 そしてその半年後、追いかけるように祖父も亡くなった。老衰だった。

 結局、落葉で焼いた焼き芋を一緒に食べる約束は叶わなかった。祖母が亡くなる前、どうして急に祖父が焼き芋の話をしたのかは分からない。ふと思い出したからなのか、重い車中を明るくしようとしてくれたのか。もしかすると、私が子供だった頃のあの約束を、ずっとずっと覚えていたのかもしれない。
 私は社会人になった。落葉で焼いた焼き芋を食べることはまだできていない。