寂寥のあと

幾美(いくみ)といいます。小説や日記を書いています。

2017年1月25日、私は一度死んだ。

友人の誕生日や覚えていようと思ったことをよく忘れるような人間だけど、この日はハッキリと覚えている。

2017年1月25日、私は一度死んだ。

トイレの内側のドアノブにロープを結び、ドアの上を通して首を吊った。

 

ストレスが原因だった。

そのストレスは何ヶ月も続いた。

理不尽に怒られて、責められて、責任をとれと言われて、報われるはなかった。

楽しいことなんてなかった。

生きていくためだと、これが社会だと言い聞かせた。

自分より苦しい人は山ほどいる。

私は恵まれている。

そう思い込んで、なんとか自立して生きていた。

 

まず内臓がダメになった。

20代前半で、逆流性食道炎胃カメラを経験した。

他にも膝を痛めたり常に不調だったりしたが、病院に行くこともやめた。

毎日お酒を飲まないと眠れなくなった。

 

いつからか忘れたが、自傷日課になっていた。

他の人にばれないように手首じゃなくて肘から上あたりを切っていた。

朝起きて腕を切り、夜にも腕を切った。

大きな布切りバサミか、包丁のどちらかを使った。

切れる道具を持っていないと落ち着かなかったから包丁は車に常備していた。

ある程度出血があって跡がついたところで、やっと落ち着くことができた。

これを毎日繰り返していた。

 

文章を読むことや書くことが好きだったのに、文を見ても何が書いてあるのか理解ができなくなった。

目は認識していても、頭まで届かない。

文章どころか、そもそも文字が分からない。

ひらがなも分からず、長い時間見つめることでやっと理解できた。

『3+4』のような1ケタ+1ケタの数字の暗算ができなくなった。

立っているだけで涙が止まらなかった。

 

この頃にようやく診療内科に行った。

何も変われなかった。

 

叶わない恋をしていた。

分かっていたけど、やっぱり叶わなかった。

 

殺虫スプレーを見たら、顔に向けて噴射したいとか、中身を飲みたいとか考えるようになった。

建物の3階辺りの窓際に立ち、ここから飛びたいと思うようになった。

自宅のトイレを閉めきって、換気扇を回さずに「混ぜるな危険!」の洗剤を何種類も混ぜて便座のフタの上で寝た。

猛スピードで走る車の目の前に飛び出したくなった。

何日もかけて何件ものドラッグストアに行って、酔い止めや睡眠薬を大量に買って、摂取しやすいようにヨーグルトに混ぜて食べた。

死ねなかった。

 

そんな時、友人に「本を作ってみないか」と誘われた。

少しでも気晴らしになればという気遣いが嬉しかった。

2016年の10月頃から、苦しみながら文章を書き短歌を詠み、本を作った。

2017年文学フリマ京都に参加した。

生まれて初めて本を作って、用意した19冊は全て売れた。

小学校の卒業文集に書いた「小説家」という夢が叶った。

本当に嬉しかった。

 

イベントが終わり友人と別れ、ストレスばかりの現実に戻った。

自宅に帰りひと段落つくと、嫌なことばかりが頭に浮かんだ。

これからまたあの日々が戻ってくる。

楽しかったことなんて一瞬だった。

生きる希望がない。

せっかく大切な友人と会えたのに、またしばらく会えないなら、

 

あー、もう、死のう

 

便箋1枚に両親と兄へ向けた遺書を書き、私は首を吊った。

首の苦しさと解放感とが混ざりあって、ボロボロと泣きながら意識を飛ばそうとした。

やっと楽になれる、

月並みだけど、それだけでこの世の全ての苦しさを飛び越えてゆけると思えた。

 

その日、初めて無断欠勤をした。

ストレスの原因の人達からの着信が止まらなかった。

携帯をサイレントモードにして気付かないフリをした。

 

数時間首を吊り続け、気絶するように床に倒れた。

 

 

結局死ねなかったけど、それからは先述の友人に何度も救われて今は元気に暮らしている。

ただ、衰えた記憶力は今も完全には復活していない。

 

実を言うと、以前はそこまで物覚えは悪くなかった。

むしろ良かった方で、大人になってからもそんなに悪くはならなかった。

ただ、このことがあってから記憶力はどんどん悪くなった。

まだ元気だった頃、県外に住む友人が私のところへ何度が遊びに来てくれたことがあったのに、そのことを忘れてしまい「今まで来たことあったっけ?」と聞いてしまった。

それに、この頃の自分の誕生日をどんな風に過ごしたのかも覚えていないし、

そもそもこの辛かった時期の約1年間の記憶もほぼない。

思い出そうとしてもぽっかりと抜けていて、思い出すもの自体がない状態になっている。

 

考え方もかなり変わった。

諦めるのが早くなったし、何事にも「そういうものだから」と割り切ることが増えた。

人に対して「頑張って」と言うことがなくなった。

「死にたい」と言う人に、以前は「そんなこと言わないで」などと言っていたが、そう言うのをやめた。

私もあの時はずっと死にたかったし、死ねなかった結果生きてしまっているだけで

良くも悪くも、やりたいことは否定しない。

私は止めないし、もし死にたくて苦しんだ人が死んだとしたら、「苦しさから解放されたのならよかった」と思うようになった。

 

地獄から抜け出して数年経った今でも、以前のようにはいかないと思うことがある。

生活の仕方も、日々の気をつけ方とかも変わってしまった。

別の人と頭を取り替えたみたいで、そういう意味でも私は一度死んでいる。

 

一方で、いいこともあった。

以前のように文章を読むことができるようになった。

暗算もできるようになったし、なんと今は数字を扱って生活をしている。

 

それに、あの時死んでいたら出会えていなかった人がたくさんいる。

もう10年くらい付き合いがあるよね?と思うくらい、気心の知れた人たちに出会えた。

私の書く文章や短歌を好きだと言ってくれる人たちに出会えた。

 

徐々に元気になり、死ななくてよかったと思う反面、今でも「あの時一度死んだ」という認識は変わらない。

それに、あんな経験をしてよかったと美談にはできない。

間違いなくあの日々は地獄だった。

今やろうと思っても、自傷なんてできない。

当時は、目に映るものすべてで死のうとしていたくらい追い込まれていた。

世の中には私よりもたくさん辛い思いをしている人だっている。

でも辛さなんて人それぞれだから、比べるつもりもない。

 

今これを書いているのだって、なんとなく思い出したから書いているだけであって、今日特別に何かあったわけでもない。

まだ完全に回復していない状態で、きっとこれからもたくさんのことを忘れていき、

そしていつか、「1月25日って何の日だったっけ?」と言える日が来ることを願いながら生きていくのだと思う。