寂寥のあと

幾美(いくみ)といいます。小説や日記を書いています。

2017年1月25日、私は一度死んだ。

友人の誕生日や覚えていようと思ったことをよく忘れるような人間だけど、この日はハッキリと覚えている。

2017年1月25日、私は一度死んだ。

トイレの内側のドアノブにロープを結び、ドアの上を通して首を吊った。

 

ストレスが原因だった。

そのストレスは何ヶ月も続いた。

理不尽に怒られて、責められて、責任をとれと言われて、報われるはなかった。

楽しいことなんてなかった。

生きていくためだと、これが社会だと言い聞かせた。

自分より苦しい人は山ほどいる。

私は恵まれている。

そう思い込んで、なんとか自立して生きていた。

 

まず内臓がダメになった。

20代前半で、逆流性食道炎胃カメラを経験した。

他にも膝を痛めたり常に不調だったりしたが、病院に行くこともやめた。

毎日お酒を飲まないと眠れなくなった。

 

いつからか忘れたが、自傷日課になっていた。

他の人にばれないように手首じゃなくて肘から上あたりを切っていた。

朝起きて腕を切り、夜にも腕を切った。

大きな布切りバサミか、包丁のどちらかを使った。

切れる道具を持っていないと落ち着かなかったから包丁は車に常備していた。

ある程度出血があって跡がついたところで、やっと落ち着くことができた。

これを毎日繰り返していた。

 

文章を読むことや書くことが好きだったのに、文を見ても何が書いてあるのか理解ができなくなった。

目は認識していても、頭まで届かない。

文章どころか、そもそも文字が分からない。

ひらがなも分からず、長い時間見つめることでやっと理解できた。

『3+4』のような1ケタ+1ケタの数字の暗算ができなくなった。

立っているだけで涙が止まらなかった。

 

この頃にようやく診療内科に行った。

何も変われなかった。

 

叶わない恋をしていた。

分かっていたけど、やっぱり叶わなかった。

 

殺虫スプレーを見たら、顔に向けて噴射したいとか、中身を飲みたいとか考えるようになった。

建物の3階辺りの窓際に立ち、ここから飛びたいと思うようになった。

自宅のトイレを閉めきって、換気扇を回さずに「混ぜるな危険!」の洗剤を何種類も混ぜて便座のフタの上で寝た。

猛スピードで走る車の目の前に飛び出したくなった。

何日もかけて何件ものドラッグストアに行って、酔い止めや睡眠薬を大量に買って、摂取しやすいようにヨーグルトに混ぜて食べた。

死ねなかった。

 

そんな時、友人に「本を作ってみないか」と誘われた。

少しでも気晴らしになればという気遣いが嬉しかった。

2016年の10月頃から、苦しみながら文章を書き短歌を詠み、本を作った。

2017年文学フリマ京都に参加した。

生まれて初めて本を作って、用意した19冊は全て売れた。

小学校の卒業文集に書いた「小説家」という夢が叶った。

本当に嬉しかった。

 

イベントが終わり友人と別れ、ストレスばかりの現実に戻った。

自宅に帰りひと段落つくと、嫌なことばかりが頭に浮かんだ。

これからまたあの日々が戻ってくる。

楽しかったことなんて一瞬だった。

生きる希望がない。

せっかく大切な友人と会えたのに、またしばらく会えないなら、

 

あー、もう、死のう

 

便箋1枚に両親と兄へ向けた遺書を書き、私は首を吊った。

首の苦しさと解放感とが混ざりあって、ボロボロと泣きながら意識を飛ばそうとした。

やっと楽になれる、

月並みだけど、それだけでこの世の全ての苦しさを飛び越えてゆけると思えた。

 

その日、初めて無断欠勤をした。

ストレスの原因の人達からの着信が止まらなかった。

携帯をサイレントモードにして気付かないフリをした。

 

数時間首を吊り続け、気絶するように床に倒れた。

 

 

結局死ねなかったけど、それからは先述の友人に何度も救われて今は元気に暮らしている。

ただ、衰えた記憶力は今も完全には復活していない。

 

実を言うと、以前はそこまで物覚えは悪くなかった。

むしろ良かった方で、大人になってからもそんなに悪くはならなかった。

ただ、このことがあってから記憶力はどんどん悪くなった。

まだ元気だった頃、県外に住む友人が私のところへ何度が遊びに来てくれたことがあったのに、そのことを忘れてしまい「今まで来たことあったっけ?」と聞いてしまった。

それに、この頃の自分の誕生日をどんな風に過ごしたのかも覚えていないし、

そもそもこの辛かった時期の約1年間の記憶もほぼない。

思い出そうとしてもぽっかりと抜けていて、思い出すもの自体がない状態になっている。

 

考え方もかなり変わった。

諦めるのが早くなったし、何事にも「そういうものだから」と割り切ることが増えた。

人に対して「頑張って」と言うことがなくなった。

「死にたい」と言う人に、以前は「そんなこと言わないで」などと言っていたが、そう言うのをやめた。

私もあの時はずっと死にたかったし、死ねなかった結果生きてしまっているだけで

良くも悪くも、やりたいことは否定しない。

私は止めないし、もし死にたくて苦しんだ人が死んだとしたら、「苦しさから解放されたのならよかった」と思うようになった。

 

地獄から抜け出して数年経った今でも、以前のようにはいかないと思うことがある。

生活の仕方も、日々の気をつけ方とかも変わってしまった。

別の人と頭を取り替えたみたいで、そういう意味でも私は一度死んでいる。

 

一方で、いいこともあった。

以前のように文章を読むことができるようになった。

暗算もできるようになったし、なんと今は数字を扱って生活をしている。

 

それに、あの時死んでいたら出会えていなかった人がたくさんいる。

もう10年くらい付き合いがあるよね?と思うくらい、気心の知れた人たちに出会えた。

私の書く文章や短歌を好きだと言ってくれる人たちに出会えた。

 

徐々に元気になり、死ななくてよかったと思う反面、今でも「あの時一度死んだ」という認識は変わらない。

それに、あんな経験をしてよかったと美談にはできない。

間違いなくあの日々は地獄だった。

今やろうと思っても、自傷なんてできない。

当時は、目に映るものすべてで死のうとしていたくらい追い込まれていた。

世の中には私よりもたくさん辛い思いをしている人だっている。

でも辛さなんて人それぞれだから、比べるつもりもない。

 

今これを書いているのだって、なんとなく思い出したから書いているだけであって、今日特別に何かあったわけでもない。

まだ完全に回復していない状態で、きっとこれからもたくさんのことを忘れていき、

そしていつか、「1月25日って何の日だったっけ?」と言える日が来ることを願いながら生きていくのだと思う。

最近よく思い出す、首を吊った日のこと

【刺激の強い表現があるかもしれないので、読む際はご注意ください】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近になって、昔の話をすることが増えた気がする。

たぶんコミュニティが広がって、自分の話をすることが多くなったからだと思う。

 

自分の経歴とか性格とか、上の方だけをさらっと話すことがほとんどだけど

一度だけ、「うんうん、」と深く耳を傾けてくれる人に話をした時、

ついぽろっと自殺未遂をした話をしてしまった。

 

だいたい気を遣われて変な空気になるので「まずい」とは思ったけど

思いのほか相手がふんわりと聞いてくれて、驚きながらも「今が元気ならよかった」と少し笑ってくれた。

 

それからしばらくの間、首を吊った日のことがずっと頭にある。

 

同窓会に行くとその当時のことを思い出しやすくなるみたいに、

他人に話したことがきっかけとなり、ずっと忘れていたことも質感を持って甦った。

 

ビニール紐の細さ

ドアノブの心許なさ

数時間の息苦しさ

古びた木製フローリングの冷たさ

鳴り止まない携帯

終わりのない絶望

 

 

死は救済だと信じていた。

 

 

私は「神様はいる」「神様がいつも見守ってくれる」と教えられて育った。

 

神は、いるのか。

生きて、信仰することが救いなのか。

贖罪ではないのか。

 

 

冬の日の朝、フローリングに転がって

薄着で涙を流しながら空に昇ることだけを考えたあの日

 

あの日の私は救われたのか。

 

何からも許されない、

この苦しさはいったい誰に頼めば解放されるのか。

死が救済ではないのか。

ずっとずっと、見えない罪を償い続けていくのか。

 

首を吊ってからもうすぐ7年になる。

いつまでも、あの日を忘れられないでいる。

 

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苗字を失うのが寂しすぎたので旧姓併記をした話

目次

・私自身の性格について

・旧姓併記をしようと思った経緯

・実際にした手続き

 0.  必要なもの

 1.  本籍地にて戸籍謄本を取得(婚姻届・旧姓併記用)

 2.  婚姻届提出

 3.  警察署にて免許証の姓を変更と旧姓を記載する

 4.  役所にて旧姓併記の手続き

 5.  旧姓併記のために新しい本籍地から戸籍謄本を取得

 6.  いざ!旧姓併記の手続きへ!(リベンジ)

 7.  警察署にて免許証に旧姓を記載する

・おわりに

 

※本記事は、巷にあふれるまとめ記事のように端的に方法と注意点だけを書いたものではなく、

手続きをしていた時の心境や状況なども長々と書いているので、読んでいて「何か違うな……」と思った方は途中で読むのをやめることをおすすめします。

 

 

〈私自身の性格について〉

私は、自分の好きなものに対して深い愛着を持つ性格だ。

 

7歳の時に100cmのアザラシの抱き枕を買ってもらい、アラサーになった現在もとても大切にしている。

進学で初めて一人暮らしをした時も、就職で引っ越した時も、住む場所が変わる度に連れて行き、約20年ずっとずっと一緒に暮らしている。

長く一緒にいることでいよいよ中の綿がヨレてくたくたの姿になったため、先日綿の総入れ替えと表面の布を綺麗にしてもらう作業を専門の会社に依頼した。

 

その額3万円超。

 

支払う時は「高いなあ……」と思っていたけど、やはりそこは専門の会社。

黄ばんでいた布は真っ白になり、中の綿は入れ替えられてふわふわになり……新品同様見違える姿になって帰ってきました。

その姿を見た瞬間、誇張表現ではなく本当に泣いた。

3万円を超えたカードの引き落としも全く苦ではなく、むしろ「がんばってうちの子をキレイにしていただいた会社様にお礼を……」と思ったくらいでした。

この件をそのぬいぐるみを買ってくれた両親に伝えると

「3万円あれば新しいアザラシ3つ買えるのに……」

と呆れられた。

私からすれば20年近く一緒にいるこのアザラシはどの友人よりも長い付き合いなのだから、それなりに愛着が湧くのも仕方がないことだと思う。

 

加えて、私が自分の名義で買った車についての話もある。

中古の小豆色の軽自動車に5年ほど乗り、最近私が引っ越すことになったためこの車は実家に置いていくことにした。

その際に親の名義に変え、現在は父親が乗り回しているのですが……何だか少し寂しい。

先日実家に帰った時に久しぶりに乗ったら父セレクトの知らないCDが流れているし、買い物袋を掛けるフックには父用のマスクが引っかかっているしで、私が使っていた面影はあるもののもう私だけの車ではなくなっていました。

(名義が私ではないので当たり前だけど)

 

以上のことから、自分でも分かるほどに何かを手放すことが寂しくてたまらなくて。

なので最近は「これいいな」と思ったものも「いつか手放す時がくるかもしれない……!」と思い、迎え入れることが少なくなりました。

 

私は、自分のものを失うことに極端に恐怖を覚えるのだと思う。

 

〈旧姓併記をしようと思った経緯〉

昨年、苗字が変わった。

縁あって結婚をして、四半世紀ほど「私」というラベルの象徴であった本名の半分が変わりました。

それでも幼い頃は「結婚してお嫁さんになって苗字変わるの憧れる♡」と、顔も知らない結婚相手を想像しながら夢を見ていたけど、いざ婚姻届を書くとなった時にはそんなキラキラとした感情はなくなっていました。

 

「え?? 苗字なくなるの?? 本籍も変わっちゃうの?? うそでしょ??」

学校でも、病院でも、外出先のレストランでも、どこに行って何をするにも真っ先に書いていた名前の姓の部分がなくなる。

何なら、下の名前より苗字の方がよく書いたり呼ばれたりしていたはず。

 

それに本籍地も変わる。

ずっと慣れ親しんだ7桁の郵便番号と住所の文字列が私の故郷であり、本籍地まで変わるとなると私が私である証明のほとんどのものが変わってしまう。

残るものは本名の「名前」の部分だけ。

 

寂しすぎる。

 

本来幸せの塊であるはずの婚姻届の前で頭を抱えていると、見かねた夫が

「本籍地は幾美ちゃんのところにしよう」

と提案してくれました。

とても嬉しかったし、救われたような気がしました。

 

苗字は仕方ないけど本籍地は私が生まれたところのままのものでいられる。

ウキウキと二人の本籍地を私のところにする準備をしていたけどそれはそれで問題がありました。

現住所と私の本籍地は数百kmも離れているため、もし戸籍謄本などの書類が必要になった場合、取り寄せるのに日数がかかる。

一方、夫の本籍地は現住所からそれほど離れておらず、すぐに書類が必要になり役場に取りに行くとなっても日帰りできるくらいの距離にある。

私の本籍地を二人の新しいそれとすることはいろいろと不便になるだろうと実母にも説得されて、この案は却下となりました。

 

別の案として全く知らない住所を本籍地にすることも考えましたが、この私のモヤモヤを解決する最善の選択とは思えなくて。

(調べたところによると本籍地は全国どこでもいいらしく、テーマパークや皇居にする人も多いのだとか)

ならいっそ本籍地ではなく苗字を私のものに変えることも考えましたが、夫の仕事のことや社会的なことも考えるととても現実的ではありませんでした。

(夫も夫の家族も、きっと私の家族もそれを望んでいなかったと思う)

 

というかこういう時ってどうして男女平等じゃないのかな。

確かに男性が改姓するのは数パーセントですごく珍しいパターンなのは分かるし、もしそうした場合に「婿養子になったの?」と不躾に聞かれる煩わしさがあるのも分かるよ。

それでもやっぱり、男性側の苗字にするのが当たり前とするのに違和感がある。

結局改姓による手続きやらそれの費用は女性が負担するんでしょ。

せめて「どっちの苗字にする?」という話し合いくらいはさせてほしい。

苗字を失うことによる私の虚しさを一体誰が理解して寄り添ってくれるのだろう。

きっとこの気持ちは改姓した人たち、その中でもごく一部の人にしか理解できないだろうし。

だから当時は自分自身の気持ちに寄り添うために思いっきり落ち込んでいました。

 

 

話を戻します。

 

 

いろいろと考え(若干揉め)た結果、残された選択肢は “私が諦める” ことしかありませんでした。

「苗字が変わったからといって、親と縁が切れるわけではない」

「本籍地が変わったからといって、もう二度と故郷に帰れないわけではない」

「別に名前と本籍地が変わったところで、私自身は何も変わらない」

頭では分かっているはずなのに、気持ちがついていかない。

今まで生きてきた私が全て無くなってしまうのではないかという恐怖さえ覚えるくらいでした。

 

これを読んでいる全員が「そんなことで……」と呆れるかもしれないけど、当時は本当に辛かったし、思い出すと今でも悲しくなる。

「これがマリッジブルーか……」

とダメージを食らっていた時、学生時代の友人から連絡があった。

 

「旧姓併記っていうのができるよ!」

 

何それ?

 

当時は “旧姓併記” という言葉自体聞き馴染みがありませんでしたが、調べてみると以下の説明を見つけました。

住民票やマイナンバーカード等へ旧氏を併記できるようにする(中略)

これにより、婚姻等で氏(うじ)に変更があった場合でも、従来称してきた氏をマイナンバーカード等に併記し(中略)身分証明に資することができるものと考えています。

総務省HPより引用

なるほど。

つまり、免許証やマイナンバーカードに旧姓を並べて記すことができると。

 

これは……いい情報なのでは!

もう私が苗字と本籍地を変えることは避けられないから、せめて私が名乗っていた旧姓を正式に証明できるものに残しておきたい。

(あとこれは完全に後付けだけど、親の介護などで私と親の血縁関係を証明されるものがあればという理由もありました。)

 

不純な動機かもしれないけど、これが私が旧姓併記の手続きをしようと思ったきっかけでした。

 

〈実際にした手続き〉

ここからは、実際の手続きについて書いていきます。

婚姻届を提出するための準備も同時に行なっていたため、少し分かりにくいかもしれないけどご容赦ください。

 

 0.  必要なもの

・婚姻届→戸籍謄本

・旧姓併記→本人確認書類(免許証等)、戸籍謄(抄)本、マイナンバーカード

・免許証の旧姓併記→本人確認(旧姓の記載されたマイナンバーカード・住民票等)

 

 1.  本籍地にて戸籍謄本を取得(婚姻届・旧姓併記用)

言わずと知れた戸籍謄本の取得。

婚姻届で回収されて旧姓併記用に使えないと思ったため、念のため2部もらった。

(後述しますが、旧姓併記にこの戸籍謄本は使えませんでした)

 

 2.  婚姻届提出 

提出に伴い、マイナンバーカードの姓と本籍地の変更も行いました。

この後免許証の変更もしに行こうと思っていたため、マイナンバーカードの情報が反映されているか役所の担当の方に確認した。

窓口「〇〇分くらいで完了しますよ」

早い! ありがとう。

 

 3.  警察署にて免許証の姓を変更と旧姓併記

役所から警察署へ移動し、新姓への変更と旧姓の記載の手続きをする予定でした。

 

結果から言うと、できませんでした。

 

新しい姓への変更には、“変更後の本籍地が記載された証明書(住民票等)”が必要だったけど

私はてっきり本籍地の変更が完了した(記載はされていない)マイナンバーカードがあれば大丈夫だと思っており……。

免許証とかはICチップを読み取ると本籍地が確認できるんでしょ? と思いながら

「本籍地は変更したんですけど……」

と、聞くと

記載されていないので無理」

とのことで。

 

確かに分からなくもないが、諸々を証明する書類(マイナンバーカード等)は持ち合わせており、それらには旧姓も新姓も、マイナンバーカードの中には新しい本籍地も登録されている。

必要な情報は揃っているのに、必要とされている書類が揃っていなかったため手続きができなかった。

 

自分がちゃんと調べなかったことに落ち度があるのは分かっていたけど、警察署の駐車場で待っていた夫に八つ当たりをした。ごめんなさい。

それでも夫は優しい人間なので笑って受け流してくれました。

 

あと、これは完全に余談ですが

結局は苗字も本籍地も私が変更することになりパスポートなどの面倒な変更も夫は何一つする必要がないため、夫は「全ての変更の手続きを妻にさせてしまっている」という罪悪感なんかもあったのだと思います。

なんとなくそんな気持ちを抱いていると察してはいたけど、分かったうえで八つ当たりはしました。ごめんね。

 

その後すぐ役所に戻って新しい本籍が書かれた住民票をもらった。

婚姻届を出した当日だったため登録が終わっているか分からなかったけど、担当の方に問い合わせると完了しているとのことだったのでその場で発行してもらいました。ありがとう!

 

本当は全ての手続きを住民票ではなくマイナンバーカードで済ませたかったのですが……。仕方ない!

(住民票の発行に手数料がかかるため)

ちゃんと調べたつもりでも実際に手続きをしてみないと何があるか分からないなと思いながら再び警察署へ行き、今度は改姓の手続きができました。

 

よし、次は旧姓併記!

 

……できなかった。

 

免許証の旧姓併記に必要なものは、“旧姓が記載されたマイナンバーカードもしくは住民票”でした。

今しがた取得した新しい住民票には、旧姓は書かれてなくて、

マイナンバーカードには旧姓と新姓載ってるんですけど……」と、聞いたら

「旧姓は旧姓でも、旧姓を載せる登録をした記載がなければ無理」と、言われた。

 

なにそれ!!!!!!!!

 

つまりは

結婚前に旧姓で発行した「◯◯ 幾美」(マイナンバーカードの一番上の氏名)と、

追記の欄にある改姓後の「氏変更 △△」(←新姓)のみが書かれた状態ではダメで、

加えて「旧氏 ◯◯」と追記の欄に記載がなければならないようで……。

 

伝わっているでしょうか。

 

〇〇 幾美 (旧姓)

氏変更 △△ (新姓)

 

ではダメで

 

〇〇 幾美

氏変更 △△

旧氏 〇〇 ←これを載せる手続きが必要

 

一番!

上に!

旧姓が!

載っているのに!!

 

……ダメなんだって。

 

この記載は役所での旧姓併記の手続きをすることで完了できるけど、

「いやいや、旧姓と新姓が載っているのに何で手続きできないの?

旧姓の時にマイナンバーカード発行して、それは私の旧姓の証明にはならないの?」となってしまうのは当然で……。

 

ただ、これに関しても私は旧姓の書かれただけのマイナンバーカードがあれば大丈夫と思っていたのがいけなかった。

憤慨したもののちゃんと確認するべきだったと反省はしました。

(この後警察署のホームページで確認すると、“旧姓が記載されたマイナンバーカード”とあり、その下に“「追記」欄に旧姓が記載されているもの”ときちんと書かれていた。ごめんなさい。なんか謝ってばっかり)

 

 4.  役所にて旧姓併記の手続き

さきほど警察署で「旧姓併記したければ役所で手続きをせよ」と言われたため、役所へ向かいました。

この時点で気がついたのですが、私は大きな思い違いをしていました。

マイナンバーカードの改姓等の変更手続きの時に一緒に「あ、旧姓併記もお願いしますわ」と、その都度言っていくものだと思っていたのですが、どうやら違ったようで。

 

独立したひとつの「旧姓併記の手続き」というものをしなければならないらしい。

 

ただ!

上記の0で記載した通り、必要なものはもう調べてある!

ドヤ顔で役所に向かっていたものの、再びあることに気がついた。

 

私が持っている戸籍謄本は旧姓の時に取得したものだ。

もしや改姓後の戸籍謄本を新たな本籍地から取得しなくてはならないのでは?

 

予想は的中しました。

 

役所に聞いてみるとまさにそうで、新たに変更した(夫の)本籍地から取り寄せなければならない。(自治体によって違うらしい。)

それに本籍地の変更は約3週間かかるとのことでした。

 

3週間!!

つまり今日中に手続きを終わらせることはできない。

 

悲しい。

私が旧姓で生きてきたことを証明するだけでこんなに大変だなんて……。

 

今日中に完了させることが不可能だと知った我々はその日は家に帰り、本籍地の変更がされた後に手続きを再開させることにしました。

 

 5.  旧姓併記のために新しい本籍地から戸籍謄本を取得

婚姻届提出後から約1ヶ月後。

さすがにもう手続きは終わっているだろうと、変更後の本籍地の役所から戸籍謄本を取り寄せました。

(夫の本籍地は日帰りできる距離にあるためその日中に書類を取りに行けると先述したが、

急ぐ必要がないことと電車賃より郵送代の方が安いので取り寄せることにした。)

 

たったの2日で届きました。

早すぎる。ありがとう。

 

改めて届いた戸籍謄本を見てみると、そこに書かれていたのは夫と私の二人だけのピカピカのもので。

今までは父と母との下に付随する形で必ず私の名前があったものが、そこから独立して二人だけの戸籍ができあがっていました。

あんなに姓を失うことが嫌だったのに、戸籍謄本を眺めているうちに一緒の姓になることによってこれからは二人で生きていくんだと改めて結婚の嬉しさと重みを実感しました。

 

 6.  いざ!旧姓併記の手続きへ!(リベンジ)

新たに取得した戸籍謄本とマイナンバーカードを持って役所へ向かいました。

この日は月末でかつ月曜日だったからか鬼のように混雑していました。

いやまあ、役所に勤めている人たちも大変大変。

50分待って、ようやく手続きが開始。

役所「旧姓併記をするにあたって、コンビニでの住民票の取得ができなくなります。

また、旦那様のみの住民票はコンビニで取得できますが、奥様の記載をすることができません。それでも大丈夫ですか?」

幾美「大丈夫です!!」

 

この件については既に知っていた。

旧姓併記のデメリットとして、「コンビニでの住民票の取得ができなくなる」ことが挙げられる。

コンビニのコピー機が旧姓併記に非対応なのだろう。

婚姻の手続きで何度かコンビニで住民票の発行をしていて、便利だ便利だと夫と話をしていたところでした。

この情報を知った時は若干後ろ髪を引かれる思いでしたが、旧姓併記をしたいという気持ちの方が強かったため手続きを行うことに決めました。

 

さきほどの質問に了承して、手続きを進めました。

待ち時間含めて2時間ほどかかったけど、追記欄に旧姓の書かれたマイナンバーカードを受け取り役所での手続きは終了。

(先述しましたが、旧姓併記には改姓前の戸籍謄本は使えなかったので婚姻届用とは別に取得する必要はなかった。)

 

この後警察署に行って免許証の手続きをしようと思っていたのですが、長い待ち時間の間に強烈なだるさと冷や汗と激しい頭痛がしたので帰宅。

コロナ流行ってるし罹ってたら嫌だな、と思い熱を測ったら34.6℃でした……。低体温。

平熱はいつも36℃を超えているためその日はとにかく身体を温めて早めに寝ました。

 

 

 7.  警察署にて免許証に旧姓を記載する

 

体調を万全にして免許証とマイナンバーカードを持って警察署へ向かいました。

「旧姓併記をしたんですけど」

と伝えたものの、

「へい……? 何の申請ですか?」

と聞き返された。

やっぱり旧姓併記の手続きはまだまだ少ないんだろうな……。

「苗字が変わって、前の苗字を……」

と一通り説明をすると伝わったようで、スムーズに手続きを行えました。

 

返却された免許証には旧姓のフルネームが裏面に書かれていました。

これも事前に知っていましたが、旧姓併記の手続きをした段階では裏面に記載されて表面に印刷されるのは免許更新の時になるらしい。

 

これで長かった旧姓併記の手続きが終了した。

 

 

〈おわりに〉

 

長くなりましたが、結局はマイナンバーカードと免許証に旧姓を記載しただけです。

正直こんなに手続きに時間と手間がかかるとは思わなかった。

 

途中で何度か

「何でこの書類じゃ手続きできないの! 必要な情報は揃ってるじゃん!」

とブチギレそうになりましたが、私自身公務員に準ずる働き方をしたことがあり書類など必要なものが揃っていないと申請が受け付けられないということは何回も経験したことがありました。

なので人並み以上に “ちゃんと手続きをすること” を理解はしているつもりではあったけど、それにしてもめんどくさいのひとことに尽きる……。

私はたまたま時間と余裕があったのでよかったもののこれをもし働きながらやると思うとそれだけで嫌になりそう。

 

それに旧姓併記をしたことにより、コンビニでの住民票発行などできなくなったことが増えた。

私は理解をしたうえで手続きをしましたが、それでもこれからのそう遠くない未来にできるようになればいいなと。

 

 

上記で述べたように、私は自分自身の生きてきた証のようなものを失くしたくないという感情がきっかけで旧姓併記をしましたが、世の中には少なからず社会で生きていくなかでこの制度が必要な人がいると思っています。

 

この記事を読んでくれた人が一人でも多く旧姓併記のことを知り、社会的にも感情的にも生きやすくなる人がもっともっと増えますように!

文学フリマ京都ありがとうございました。

イベントから1週間ほどが経とうとしていますが、文フリが楽しかったのでブログを書きます。

 

開催自体が2年ぶりだった文学フリマ京都、

自サークルの白兎文庫も2020年のタイミングで参加していたため同じく2年ぶりでした。

 

そういえば、創作サークルを結成して最初に参加したのが京都での文学フリマで、

はあー、もうあの時から5年も経ったのかと思うと、月日ってマジで秒で経つんだなと実感しております。

 

さて、当日は10時を余裕で過ぎた時刻に会場の最寄駅に到着し、「ヤバい時間ヤバい」と焦りまくり

ぜえぜえと息を切らしながら早足で会場のみやこめっせに到着したせいか、「2年ぶりの文フリ京都だ!」などという感動は全くなく

そして入場してからもまた「早く設営しなければ」と焦ってしまい、開場の11時より前から相当バタバタしていた記憶があります。

 

というのも、いつも一緒に参加している相方の幹さんが諸用で欠席とのことで。

「ひとりで全部できるもん!」と生意気な子供のごとく息巻いていましたが、

いざまっさらな状態の長机と向かい合うと、何をどうしていいのか全く分からず。

「布は敷いたが……」と立ち尽くしているうちに時間はあっという間に過ぎていきました。

 

10時40分にはみやこめっせに到着していたはずなのに、

「10時50分になりました」というアナウンスが流れるまでは体感2分しか経っていませんでした。マジで。

 

ただ、助っ人に着いてきてもらっていて私ひとりではなかったため、

アレやってコレやってなどと口うるさく指示を出した結果、なんとか開場の11時までにブースを形にすることができました。

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お品書き

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いつものうさぎたちも一緒に

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ポストカードたち

本題のイベントは相変わらず楽しかったです。

 

ご挨拶いただいたフォロワーさん方、

きっとTwitterで情報を手に入れてくれていたであろう、早足でブースまで来てご購入いただいた方、

前回買っていただいた本の感想まで伝えてくださって、今回もご購入くださった方など。

同じ内容のイベントは二度はないんだなと実感するほど、毎回新鮮で楽しい時間を過ごしていました。

 

コロナウイルスの陽性者が増えてきたなかでの開催だったため、イベント後の体調が心配でしたが

22日現在も体調は崩れていないため、きっと文フリでの感染は回避できたのでしょう。

諸々無事に終えられることができてよかったです。

 

そしてつい先日、相方の幹さんと電話することがあり、

この先どうしよっか、という話になったのですが

次回参加予定のイベント(大阪か東京か京都かは分かりませんが)にて、新刊を出せるといいね、という話をしました。

それと、短歌もがんばりたいね〜なんて話も。

私個人としても、2021年はバタバタしてなかなかがんばりきれなかったので、

今年こそは創作に力を注いでいけたらと思っています。

 

あと、私自身しゃべることが好きなので、ツイキャスとかスペースとか

せっかく知り合ったフォロワーさんたちと仲良くなりたいとも思っているので、

もしかしたらちょくちょくそういう場を設けているかもしれません。

その時はぜひお話ししてくれると嬉しいです。

 

それでは!

「きみちゃんの話は面白いよ、絶対売れるって」
 
 そう言った大学院生の彼氏は、数日前に出て行ってしまった。他に好きな女ができたらしい。売れない小説家と、卒論を間近に控えた大学院生。お金も余裕もなかったけど、お互いがいればなんとかなるだろうと思い続けていた。
「結構気が合うと思ってたんだけどなあ」
 こういう時、過去のいろいろなことを思い出して、どれがダメだったのだろうかと自己採点をしていく。でももう答えを与えてくれる相手はいないのだから、いつまで経っても正解なんて分からない。
 もう何回も読み返した、大好きな宮沢賢治の文庫本を手に取る。パラパラとめくっていくと、タイトルに『よだかの星』と書かれたページで止まる。そのページには少し厚めの栞が挟まっていた。そういえば昔、あいつからもらったんだっけ。
「本が出たら絶対買うから!」
 そう言われながら栞を渡された風景が蘇る。何が絶対よ、どれもこれも叶ってないじゃない。開け放った窓から、一つ大きな風が吹き込む。手に持った本のページが再びパラパラと流れていく。そうして、栞のないページで止まった。

誰かさん

深夜二時
たった今茹であがった、とりささみをほぐす

シンクにはささみを茹でるために使った鍋がある
水滴が、その鍋に向かってまっすぐに落ちる

彼は自由だ
いつからか、恋人の私のことなんてすっかり忘れてしまったみたい

ささみを茹でる前に、あらかじめ筋を取っておく
湯を沸かし火を止め、その中に二十分間ささみを入れておく
たったこれだけ
たったこれだけで柔らかく煮えると
それだけのことでささみは柔らかくなるのに

彼は
彼のために尽くす私のことを、見向きもしなくなった

パサパサにならず、柔らかく煮えたささみは簡単にほぐれていく
弾力があって指先にあたたかい温度が伝わってくる

水滴が落ちる

どうしてこんなことをしているかなんて、そんなのとても簡単で
彼がささみを使ったおつまみが好きだから
常に茹でてほぐしたものをストックしてあるのに

黙々とほぐしていき、四本目のささみをほぐす
爪の中にほぐしたかけらが入り込んだ

適切な大きさにほぐしていく

水滴が落ちる

彼はまだ帰って来ない

一つ星

「門」の続きです。未読の方はそちらからどうぞ。

 

 あなたは知らないでしょう。いつからか、僕の中であなたの存在が大きくなっていることを。
 最初は変な人だと思った。僕の家をじっと覗いているし、話しかけてもたどたどしいし。それからしばらくして、毎日のように夕方になったら家の前に来て、僕を探して笑いかけてくれた。それも、いつもいつもまっすぐな笑顔で。
 祖父が一代で創った会社を父が継ぎ、父は会社をより一層大きくした。僕はその二代目である父親の長男としてこの家に生まれた。物心ついたときから三代目だとか坊ちゃんだとか、たくさんの大人たちがいつも僕の周りを囲んでいた。同世代の友達とは遊べないし、よく分からない経営の勉強を毎日のようにさせられる。こんな鳥かごの中の鳥のような生活がいつまで続くのだろう。そんなつまらない毎日に、あなたは突然現れた。
 無邪気で、笑うと花が咲いたようで。いつも大人たちの貼りついたような不気味な笑顔を見てきたから、表情をコロコロと変えるあなたが眩しくて仕方がなかった。だからつい、そんなつもりもないのに、手を振り返してしまった。そしたらまた一段と明るい表情になったから、僕も笑顔になる。そういえば、もう何年も笑っていなかったかもしれない。
 あの日以来、あなたはぱったりと姿を見せなくなった。嫌われるようなことをしただろうか。しばらく考えていたが、そんな邪推は外れていたようで。ある時車に乗って街中を移動していると、友達らしき人たち何人かと歩いているあなたを見つけた。そうか、あなたには居場所があるのか。後部座席の窓を開けようとしたが、手を止めて、窓を開けるのをやめた。
 冬も深くなったある日、父から会社の経営が上手くいっていないことを告げられた。それと、この家から出て行かなければならないことも。それを聞いて真っ先に浮かんだのは、これでやっとみんなと同じ普通の生活ができるかもしれない、ということ。その次に、名前も知らない笑顔が眩しいあの人のことが浮かんだ。もうずっと顔も見ていないのに。
 ねえ、お姉さん。あなたはね、僕のたった一つの輝くお星さまなんだ。だから待っていて、いつか必ずまた会いに来るから。探してみせるから。それまで僕のこと、忘れないでいて。