寂寥のあと

幾美(いくみ)といいます。小説や日記を書いています。

一つ星

「門」の続きです。未読の方はそちらからどうぞ。

 

 あなたは知らないでしょう。いつからか、僕の中であなたの存在が大きくなっていることを。
 最初は変な人だと思った。僕の家をじっと覗いているし、話しかけてもたどたどしいし。それからしばらくして、毎日のように夕方になったら家の前に来て、僕を探して笑いかけてくれた。それも、いつもいつもまっすぐな笑顔で。
 祖父が一代で創った会社を父が継ぎ、父は会社をより一層大きくした。僕はその二代目である父親の長男としてこの家に生まれた。物心ついたときから三代目だとか坊ちゃんだとか、たくさんの大人たちがいつも僕の周りを囲んでいた。同世代の友達とは遊べないし、よく分からない経営の勉強を毎日のようにさせられる。こんな鳥かごの中の鳥のような生活がいつまで続くのだろう。そんなつまらない毎日に、あなたは突然現れた。
 無邪気で、笑うと花が咲いたようで。いつも大人たちの貼りついたような不気味な笑顔を見てきたから、表情をコロコロと変えるあなたが眩しくて仕方がなかった。だからつい、そんなつもりもないのに、手を振り返してしまった。そしたらまた一段と明るい表情になったから、僕も笑顔になる。そういえば、もう何年も笑っていなかったかもしれない。
 あの日以来、あなたはぱったりと姿を見せなくなった。嫌われるようなことをしただろうか。しばらく考えていたが、そんな邪推は外れていたようで。ある時車に乗って街中を移動していると、友達らしき人たち何人かと歩いているあなたを見つけた。そうか、あなたには居場所があるのか。後部座席の窓を開けようとしたが、手を止めて、窓を開けるのをやめた。
 冬も深くなったある日、父から会社の経営が上手くいっていないことを告げられた。それと、この家から出て行かなければならないことも。それを聞いて真っ先に浮かんだのは、これでやっとみんなと同じ普通の生活ができるかもしれない、ということ。その次に、名前も知らない笑顔が眩しいあの人のことが浮かんだ。もうずっと顔も見ていないのに。
 ねえ、お姉さん。あなたはね、僕のたった一つの輝くお星さまなんだ。だから待っていて、いつか必ずまた会いに来るから。探してみせるから。それまで僕のこと、忘れないでいて。