寂寥のあと

幾美(いくみ)といいます。小説や日記を書いています。

最近よく思い出す、首を吊った日のこと

【刺激の強い表現があるかもしれないので、読む際はご注意ください】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近になって、昔の話をすることが増えた気がする。

たぶんコミュニティが広がって、自分の話をすることが多くなったからだと思う。

 

自分の経歴とか性格とか、上の方だけをさらっと話すことがほとんどだけど

一度だけ、「うんうん、」と深く耳を傾けてくれる人に話をした時、

ついぽろっと自殺未遂をした話をしてしまった。

 

だいたい気を遣われて変な空気になるので「まずい」とは思ったけど

思いのほか相手がふんわりと聞いてくれて、驚きながらも「今が元気ならよかった」と少し笑ってくれた。

 

それからしばらくの間、首を吊った日のことがずっと頭にある。

 

同窓会に行くとその当時のことを思い出しやすくなるみたいに、

他人に話したことがきっかけとなり、ずっと忘れていたことも質感を持って甦った。

 

ビニール紐の細さ

ドアノブの心許なさ

数時間の息苦しさ

古びた木製フローリングの冷たさ

鳴り止まない携帯

終わりのない絶望

 

 

死は救済だと信じていた。

 

 

私は「神様はいる」「神様がいつも見守ってくれる」と教えられて育った。

 

神は、いるのか。

生きて、信仰することが救いなのか。

贖罪ではないのか。

 

 

冬の日の朝、フローリングに転がって

薄着で涙を流しながら空に昇ることだけを考えたあの日

 

あの日の私は救われたのか。

 

何からも許されない、

この苦しさはいったい誰に頼めば解放されるのか。

死が救済ではないのか。

ずっとずっと、見えない罪を償い続けていくのか。

 

首を吊ってからもうすぐ7年になる。

いつまでも、あの日を忘れられないでいる。

 

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